サラリーマンの不満はゼロにならない。でも選択肢を持つことで極少化はできるよ

2019年5月24日

こんにちは。

久しぶりのブログ更新です。最近は「ハワイを目指す兼業ライター」としてライティング案件に血なまこになっています。

サラリーマンの不満は無くならない

「いま悶々としてるサラリーマンはフリーランスを目指すといい」

最近つくづく、そう感じます。これは個人的な体験からも思うことです。

「サラリーマンしてるけどつまらない、何か違う気がする」という人は多い気がします。ツイッターなんかにもリーマンの怨嗟の声が渦巻いてますし。

だいたい聞こえてくるのはこんな声だと思います。

  • 給料が安い
  • 残業が多い
  • 人間関係がストレス
  • 仕事がつまらない
  • 満員電車が地獄
  • 付き合いのランチや飲み会が嫌
  • 合わない取引先がいる
  • 貯金ができない

他にもあるかもしれません。

でも、会社に対するこれらの不満って、そもそも全部解決するのはムリで。それは人類がまとまって暮らす地球で戦争とか衝突とか絶望がゼロにならないのと同じな気がします。

ひとの集合体である何らかの「組織」には、必ず利害のズレが生じてきます。

法人と個人、どちらもイチ人格には変わりないですけど、その目指すところは絶対に一致はしない。会社と命運をともにする覚悟の経営陣ならともかく、プレイヤーとして参加するサラリーマンは。

つまり、会社というのは構造的に個人の不満を前提としているんじゃないでしょうか。

だからどの企業でも組織でも、飲み会やレクリエーションを始め、「結束を固める」という趣旨の活動がかなりのコストでもって行われる。

やらなくて済むなら、こんな面倒なことは誰もしたくないと思うんですが、それでもやるのは「ほっとくと不満が自然膨張して組織がヤバくなる」と多勢が考えているからだと思います。

さらに、不満の膨張に拍車をかけるのが「比較」です。

ひとは比較の生き物で、とにかく他者と自分を比べずにはいられません。

でも比較がもたらす感情は、だいたいの場合が嫉妬です。じぶんのほうが不当に扱われてる、給与が低い、重い仕事を振られてる……と勝手に比較して勝手に不満を膨らませてしまうわけです。

不満はゼロにならない。そもそもゼロにする必要はない

ぼくは人生を悟った賢人でも何でもないですが、「人生において不満がゼロになることはないだろうな」ということくらいはわかります。

ときどき「人生楽しいことだらけ、不満なんてカケラもないよ」という人を見かけます。すごく素敵だと思います。素晴らしい人生で、それ自体にぼくは何の反感も覚えません。

でも、何かに満たされない不満は、人生の日々をドラマチックにしてくれる大切なスパイスでもあるんじゃないか、などと思ったりもします。

不満って、進歩とか、進化の源泉なのではないかなと思うんです。

アンガー・イズ・ア・ギフト。

ぼくの大好きなことばです。Rage Against the Machineっていう、2000年代にアメリカで常に物議をかもし続けた、アナーキーなラップ&ヘヴィリズムのミクスチャーバンドの曲の歌詞なのですが。

「怒りこそは天啓」とぼくは勝手に意訳して、折に触れて心の中でつぶやいてます。

怒りって、ネガティブな感情の最たるものとして捉えられがちです。そして怒りは、やっぱりなにがしかの不満から生まれる気がします。

その怒りを、ひいてはその根源たる不満を、天から与えられた尊い「gift」と言い切ってしまう。

バンドの曲自体は非常にアグレッシブで、涙するようなムードは1ミリもないんですけど、このフレーズを聴くと何となく敬虔で凛とした心持ちになります。

ちょっと横道に逸れてしまいました。

言いたいのは、不満をゼロにすることはたぶん聖人くらいにしかできないし、凡人のぼくらは、不満や怒りを前向きなものと捉え直して付き合うのがいいのかな、ということです。

不満はゼロにはならないが、「選択肢を増やすこと」で限りなく小さくすることはできる。

とはいえ、不満だらけの毎日もしんどい。

だから、自己の中の不満の存在を受け入れつつ、少ない分量に抑えておく工夫は要るのかなと思います。

ウルトラC的な解決策としては「サラリーマンを辞めちゃう」のがもっとも近道です。フリーランスなり、会社を興すなり、山に籠って隠遁するなり。

実際にそういう道を選ぶひとも少なからずいるので、さほど極端でもないのかもしれません。かくいうぼくも、いまヒィヒィ言いつつがんばってるのは、フリーランスとして独立したいためです。

サラリーマンは合わないなぁ……と自己認識している人は、フリーになるのが結局いちばんいいのかもしれません。

ただ、家庭なんかの事情でなかなかそうもいかない、あるいはそこまで急激な変化は望んでない、という方も多いはず。

ドラスティックな変化を遂げるのは素晴らしいことですが、地味ながらひと知れず淡々と目指す姿に向かい努力していくことだって、同じくらい素敵で尊いものです。

それでもそういう人にも、ぼくはいったん「フリーランスを目指してみる」ことをおすすめしたいです。

それは、フリーランスを目指してみるということが、自分の選択肢を広げてくれると思うからです。

フリーランスを目指してみると、たとえばこんな効能があります。

  • 会社の外にネットワークができる
  • じぶん個人の市場価値がわかる
  • 上司ではなく自分で物事を決められる
  • 独力で稼ぐスキルが身につく
  • 自分で稼ぐよろこびを感じられる
  • 武器になる得意領域が把握できる
  • 時間への意識と使い方が変わる
  • 単純に収入が増えて嬉しい
  • 睡眠と休息のありがたみがわかる

などなど。もっとあるかもしれません。社外でフリーで働くことのリターンって本当に計り知れない。

それから、「選択肢」。

選択肢って、すごく大切です。選べる自由。いざとなりゃ別の道に行ける安心。

平日の朝は総じてイライラするものですが、それって「遅刻しちゃう遅刻しちゃう」っていう不安に起因している気がします。

会社=定時に出社するもの、という厳然としたルールに締めつけられてるからツライ。「遅刻はアカン」の一択だから、逃げ道なしでキュウキュウとするんです。

でも「別に遅刻してもいいや」となったら、朝のイライラはどっかへ消えてしまいます。

電車が大幅に遅れて「電車こないので30分遅れます」って連絡したあとってすごくスッキリしませんか。あれは、別の道が確保されたことによる安心感です。あ、もう時間どおり行かなくていいんだ、という。

同じように、職業環境においても、サラリーマンとは別の選択肢を持っておくと心持ちが全然変わってきます。

「遅刻します」と伝えるノリで「会社辞めます」って言えると考えたら、めちゃくちゃ気が楽です。社会常識的に疑問視されそうですが、「しんどいんで、バックレます」ができたら、ぜったい病まないと思います。

実際のところ、最後はそれでいいんです。

しんどいから、バックレる。

うつ病になるより、心に傷を負うより、100000倍いい。親になって思いますけど、自分の子どもには、世界じゅうが彼をどんなに非難しようと、生き延びてほしいって思います。

サラリーマンとして悶々とした日々を送っているなら、「いつでも辞められる」という選択肢をもつことが現実的な解決策なんじゃないか、という話をしました。

実際に辞めなくてもいい。でも、「いつだって辞められるんだから」というそれだけでひとまずはOKです。

単純に言い換えると、結局「心にゆとりをもつ」ということなのかなと思います。

ゆとりって、やっぱり大切ですね。