サラリーマンの不満はゼロにならない。でも選択肢を持つことで極少化はできるよ

こんにちは、神谷ボコです。

久しぶりのブログ更新。最近は「ハワイを目指す兼業ライター」としてライティング案件に血なまこになっております。

日中は営業職のサラリーマン、深夜に兼業ライターとして夜な夜な混沌たるWeb世界に参上……そして朝晩と土日は2児の怪獣のドタバタ育児……

という、自堕落な大学生活のツケ総決算という感じの3重ライフ。

体力はもはや、マジで風前のともし火5秒前という感もありますが

「もう無理よ と思ってからが 筋トレだ」(民明書房)

という格言に従い、今日も這いつくばって前に進もうと思います。

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サラリーマンの不満は無くならない

ようやく本題。まどろっこしくてすみません。前説が長いといつも言われます。小説家のサガでしょうか。「性」じゃなく「サガ」と書くと、どうしてもロマンシング・サガが浮かびますね。

ちなみに正しくは「ロマンシング・サ・ガ」。中ぐろを挟めばカッコよく見える、と。ヴァ・スコ・ダ・ガマ、と同じですね。違いますかね。ちなみにヴァスコ某って、何のひとでしたっけ。

すみません、朝から少し変なテンションになってます。酒は、入っていません。グリコのジャイアント・カプリコにラム酒が入ってなければの話ですが。

それで、サラリーマンの話ですね。「いま悶々としてるサラリーマンはフリーランスを目指すといい」と最近つくづく感じます。これは個人的な体験からも思うことです。

「サラリーマンしてるけどつまらない、何か違う気がする」という人は多いですよね。ツイッターなんかにもリーマンの怨嗟の声が渦巻いてます。

だいたい聞こえてくるのはこんな声。

  • 給料が安い
  • 残業が多い
  • 人間関係がストレス
  • 仕事がつまらない
  • 満員電車が地獄
  • 上司の鼻毛が気になる
  • そもそも出社する意味が不明
  • 付き合いのランチや飲み会が嫌
  • 上司の鼻毛が気になる
  • 合わない取引先がいる
  • 将来に希望がもてない
  • 部下の鼻毛まで気になりだした
  • 貯金ができない

鼻毛はどうしようもないですね。マッキンゼーとかBCGのパートナーコンサルタントでも頭をかかえるでしょう。それほど毛深い、もとい根深い問題なのです。

他の問題はどうでしょうか。給与が安いなら高いところへ、残業が辛いならホワイトな企業へ……こうやっていけば問題はクリアできそうです。

……などとは、誰も思いませんよね。

そうです、会社に対するこれらの不満って、そもそも全部解決するのはムリなんですよね。それは人類がまとまって暮らす地球で戦争とか衝突とか絶望がゼロにならないのと同じで。

ひとの集合体である何らかの「組織」には、必ず利害のズレが生じてきます。法人と個人、どちらもイチ人格には変わりないですけど、その目指すところは絶対に一致はしないんですよね。会社と命運をともにする覚悟の経営陣ならともかく、プレイヤーとして参加するサラリーマンは。

つまり、会社というのは構造的に個人の不満を前提としているんですね。

だからどの企業でも組織でも、飲み会やレクリエーションを始め、「結束を固める」という趣旨の活動がかなりのコストでもって行われる。やらなくて済むならこんな面倒なことは誰もしたくないと思うんですが、それでもやるのは「ほっとくと不満が自然膨張して組織がヤバくなる」と多勢が考えているから、なんですよね。

さらに不満の膨張に拍車をかけるのが、「比較」です。

ひとは比較の生き物。とにかく他者と比べるのが好きですね。好きなくせに、比較の結果いだく感情はだいたいの場合「嫉妬」。じぶんのほうが不当に扱われてる、給与が低い、重い仕事を振られてる……と勝手に比較して勝手に不満を膨らませてしまうわけです。

不満はゼロにならない。そもそもゼロにする必要はない

ぼくは人生を悟った賢人でも何でもないですが、「人生において不満がゼロになることはないだろうな」ということくらいはわかります。

ときどき「人生楽しいことだらけ、不満なんてカケラもないよ〜♪」というひとを見かけます。すごく素敵だと思います。素晴らしい人生で、それ自体にぼくは何の反感も覚えません。

でも、こうも思うんです。何かに満たされない不満は、人生の日々をドラマチックにしてくれる大切なスパイスでもあるんじゃないか、と。

不満って、進歩とか、進化の源泉なんですよね。

アンガー・イズ・ア・ギフト。

ぼくの大好きなことばです。Rage Against the Machineっていう、2000年代にアメリカで常に物議をかもし続けた、アナーキーなラップ&ヘヴィリズムのミクスチャーバンドの曲の歌詞なんですけどね。

「怒りこそは天啓」とぼくは勝手に意訳して、折に触れて心の中でつぶやいてます。

怒りって、ネガティブな感情の最たるものとして捉えられがちです。そして怒りは、やっぱりなにがしかの不満から生まれるんですよね。

その怒りを、ひいてはその根源たる不満を、天から与えられた尊い「gift」と言い切ってしまう。

バンドの曲自体は非常にアグレッシブで、涙するようなムードは1ミリもないんですけど(笑)、このフレーズを聴くと何となく敬虔で凛とした心持ちになるんですよね。

すみません、また冗長な余談でした。

言いたいのは、不満をゼロにすることはたぶん聖人くらいにしかできないし、凡人のぼくらは、不満や怒りを前向きなものと捉え直して付き合うのがいいですよ、ということです。

不満はゼロにはならないが、「選択肢を増やすこと」で限りなく小さくすることはできる。

とはいえ、不満だらけの毎日もしんどいですよね。

ぼくは嬉しいことと許せないことがあった時はジャイアント・カプリコかたけのこの里に助けてもらいますが、さすがに毎日はカロリーオーバーになっちゃう。

だから、自己の中の不満の存在を受け入れつつ、少ない分量に抑えておく工夫は要るのかなと思います。

ウルトラC的な解決策としては「サラリーマンを辞めちゃう」のがもっとも近道ですね。フリーランスなり、会社を興すなり、山に籠って隠遁者ギーのように暮らすなり。

実際にそういう道を選ぶひとも少なからずいるので、さほど極端でもないのかもしれません。かくいうぼくも、いまヒィヒィ言いつつがんばってるのは、フリーランスとして独立したいためです。

サラリーマンは合わないなぁ……と自己認識している人は、フリーになるのが結局1番なんですよね。

ただ、家庭なんかの事情でなかなかそうもいかない、あるいはそこまで急激な変化は望んでない、という方も多いはず。

ドラスティックな変化を遂げるのは素晴らしいことですが、地味ながらひと知れず淡々と目指す姿に向かい努力していくことだって、同じくらい素敵で尊いものです。

それでもそういう人にも、ぼくはいったん「フリーランスを目指してみる」ことをおすすめしたい。

それは、フリーランスを目指してみるということが、あなたの選択肢を広げてくれるからです。

フリーランスを目指してみると、たとえばこんな効能があります。

  • 会社の外にネットワークができる
  • じぶん個人の市場価値がわかる
  • 上司ではなく自分で物事を決められる
  • 独力で稼ぐスキルが身につく
  • 自分で稼ぐよろこびを感じられる
  • 武器になる得意領域が把握できる
  • 時間への意識と使い方が変わる
  • 得た知見を昼間の仕事にも活かせる
  • 社外に居場所があるので大胆なリスクが取れる
  • 単純に収入が増えて嬉しい
  • 睡眠と休息のありがたみがわかる

などなど。もっとあるかもしれません。社外でフリーで働くことのリターンって本当に計り知れないんですよね。

それから、「選択肢」。

選択肢って、すごく大切なんですよね。

選べる自由。いざとなりゃ別の道に行ける安心。

平日の朝は総じてイライラするものですが、それって「遅刻しちゃう遅刻しちゃう」っていう不安に起因してるんですよね。会社=定時に出社するもの、という厳然としたルールに締めつけられてるから、辛い。「遅刻はアカン」の一択だから、逃げ道なしでキュウキュウとするんですね。

でも「別に遅刻してもいいや」となったら、朝のイライラはどっかへ消えちゃいます。ほんとです。電車が大幅に遅れて「電車こないので30分遅れます」って連絡したあとってすごくスッキリするじゃないですか。あれは別の道が確保されたことによる安心感なんですよね。あ、もう時間どおり行かなくていいんだ、という。

同じように、職業環境においても、サラリーマンとは別の選択肢を持っておくと心持ちが全然変わってきます。

「遅刻します」と伝えるノリで「会社辞めます」って言えると考えたら、めちゃくちゃ気が楽じゃないですか。社会常識的に疑問視されそうですが、「しんどいんで、バックレます」ができたら、ぜったい病まないですよね。

実際のところ、最後はそれでいいんですよ。しんどいから、バックレる。うつ病になるより、心に傷を負うより、100000倍いい。親になって思いますけど、自分の子どもには、世界じゅうが彼をどんなに非難しようと、生き延びてほしいって思いますね。

松本人志さんの「死んだら負け」じゃないですが、死んだらやっぱりもったいない。生きてればどうにだってなるじゃないですか。

食えなくなったら、できるだけ優しそうなお巡りさんのいる交番になんかブツ投げ込んじゃえばいい。ガラスが割れるたぐいのものはダメですよ。ケガさせちゃいけない。ペットボトルなんかがいいんじゃないでしょうか。「いろはす」とか特別柔らかいし投てき向きかもしれません。

ちょっと脱線しました。

サラリーマンとして悶々とした日々を送っているなら、「いつでも辞められる」という選択肢をもつことが現実的な解決策なんじゃないか、という話をしました。

実際に辞めなくてもいい。でも、「いつだって辞められるんだから」というそれだけでひとまずはOKです。

単純に言い換えると、結局「心にゆとりをもつ」ということなんですよね。ゆとりって、やっぱり大切です。

まとめ:まずはちょっとでも動き出してみる

選択肢って、別の道ということですよね。

鬱蒼と木々が生い茂った森の中で、人工的に敷かれた一本道を歩いている。それが他に選択肢のないサラリーマンとしての生き方だとします。

それがどんな悪路でも、両側に背の高い草が生えて道を逸れることが許されないなら、まっすぐ歩きつづけるしかないんですよね。

そして前には常に、誰かがいる。それが安心にもつながるし、一方で、自分はいつだって誰かがすでに踏み終えた道を歩かされてるんだなという虚しさと諦めもある。それにいきなり熊が立ちはだかっても、逃げ場はない。

そんな一本道は、ちょっとしんどい。

だから、横に逸れてみましょう。

ぐわっと思いきり逸れなくたっていい。前を歩く上司や同僚に遅れないよう歩きつつ、ときどき脇にそれて、また戻ればいい。昔みんなで行った山登りでも、ちょっとだけ違う道にずれたりしたことがあるでしょう。そしてそういうときって、なぜかワクワクしたんじゃないでしょうか。

そうやって、無理せず、楽しみながら、少しずつ脇道を拓いていく。すぐ先も見渡せない獣道を、ちょっとずつマイペースに踏みならしていく。

そしてあるとき振り返ってみたら、一本道のところどころに、あちこちへ延びるあなただけの脇道ができあがっているはずです。

そうしたらもう大丈夫。一本道で何かあったら、すぐそのどこかへ駆け込めばいい。そこはあなたが自分で切り拓いた道なんだから、誰からも文句は言われません。言われたって、一本道からのそんな声はもうあなたにはどこ吹く風。じぶんの道を行きましょう。

そうやって、自分だけの脇道をもつ仲間たちが増えてくれたら嬉しいなぁと思います。

あれ、なんかマジメな締め方になっちゃったぞ(笑)

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