その作品に「狂気」は込められているか?

昨年までやっていた小説編集の仕事でも、現在の営業コンサルでもそうなのだが、

「やりますやります」と言って、動かない人たちがいる。

作家さんもそうだし、コンサル先の営業マンもそう。

そういう人には、こっちも全力サポートができない。したくない。

「そういうヤツをやる気にさせて行動起こさせるのもお前の仕事だろ!」って言われそうだけど、やる気は他者から焚きつけてもらうものじゃない。自分で燃やすもんだ。

とくに小説なんて「世の中になくても誰も困らない」ムダの極みみたいなもの。ただの文字の羅列でしかないんだから。それを読んだら何が得られるかがはっきりしてるビジネス書ノウハウ書なんかならまだしも、はじめから最後まできちっと読まないとわからない、しかも面白いかどうかもわからない小説なんてものに、多忙極まる現代人がどれだけ価値を感じてくれるのか。

そんなムダなものに「価値」があるなら、それは作家の魂が込められてるかどうかだ。編集者の熱が込められてるかどうかだ。制作にかかわるすべての人が「読んだ奴らを揺さぶってやる」という気概を持ち合わせてるかどうかだ。それがなきゃ、スマホだけでこと足りる生活の中で小説を手に取ってもらうことなんて期待できない。しちゃいけない。

そのすべての起点は、作家のやる気だ。この作品で世の中揺さぶってやるという、狂気じみた作り手の熱意。

それが周囲に伝播して、大きなうねりを生んで、作品にパワーが宿る。

キチガイと呼ばれるほどのめり込んで、他のすべてを忘れて書く。作る。

サラリーマンの書き手だって同じだ。兼業作家だって、書いてるその瞬間は、他の何物も忘れて打ち込もう。それでも確実に、作品にはいい意味での狂気が宿る。

専業作家になれる人なんてほんのわずか。世の書き手の大半は兼業だったり、やりたくない仕事もしながら、それでも書いている。

その時間はみんなキチガイになろう。頭がおかしくなるほど熱中して、打ち込んで、作品に魂を込めよう。

キチガイ兼業作家が増えたら、小説の世界はもっと楽しくなるぞ。

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